亀戸天神にも紅梅殿があるんですよ。
話しは、亀戸天神の創建の話までさかのぼります。
太宰府天満宮神人「菅原大鳥居信祐」が、飛梅で神像を刻み、諸国を廻っていました。その時期はちょうど幕府が本所深川の開発を行なっていたため、開拓中の本所に「新開地の鎮守たるべし」と社地の寄進を受けたのが始まりです。
寛文2年(1662年)10月25日ご鎮座されましたが、太宰府の社に倣い、社殿・棲門・廻廊・心字池・太鼓橋をつくり、以後、東宰府天満宮と呼ばれ東国天満宮の宗社として尊崇されました。亀戸天神社の名称は昭和11年からです。
紅梅殿は、寛文2年に時を同じくして作られました。太宰府天満宮の御神木「飛梅」の実生を勧請し、社殿前に奉斎されたのが起源で、昭和63年に今の場所に再建されたと記されています。個人的な感想ですが、京都の紅梅殿(北菅大臣神社)に、よく似ているような気がします。京都の紅梅殿に倣って建てたのかもしれませんね。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、棲門・廻廊は現在ありません。ほとんどの建物は戦災で消失してしまったからです。その後、御嶽神社・花園社・弁天社・紅梅殿と少しずつ復興しているのですが、全てが再建されるには相当の年月が必要なのではないでしょうか。
ちなみに棲門の跡は本殿から太鼓橋に向かっていくと太鼓橋手前に、その場所だけ大きな四角い大きな石になっている場所がありますが、その場所にありました。廻廊はその東西の藤棚のあたりにあったと聞いています。
紅梅殿は、亀戸天神社の西門を入ってすぐの場所にありますので、一度お参りしてみて下さいね。